「”自動”にはご用心」閉店後の不定期日記 250315

2025/03/15 ブログ

世の中”自動”に溢れている。

 

自動ドアに自動改札。トイレでさえ用を足し終えたら自動で流されていき、洗面所では手をかざすだけで水が流れ、洗剤まで出てくる。タクシーの自動ドアなど日本独自のサービスとして外国人旅行客に驚かれ、面白がられている。古くはエレベーターだって自動昇降機だし、今では自動車の自動運転までほぼ達成されている。

 

また、鉄道の分野ではLinimo(リニモ)がリニアモーターカーとして全自動で営業運行されているのは愛知県民ならご存じだろうし、船舶の分野では2025年1月に自動航行船による定期航路での試験運航が広島県で行われている。

 

日本はデジタルの国にして、未来の国、夢の国だと海外から見られているらしい。利便性を徹底的に追及する日本人の知恵とおもてなし精神が発揮されてきた結果であろうし、それを実現するだけの技術力があり、新たに開発する能力もあったと言えるかもしれない。これに人手不足という問題が最近は加味されているのだろう。

 

 

 

便利なのは良い事である。

 

かつてホンダの創始者である本田宗一郎氏は自動車の開発基準のひとつとして「人間は元来面倒くさがりであるため、自動車は安全を第一としながら、同時に便利なモノでなくてはならない」といった主旨の発言をしている。自動や全自動というのは人間誰しもが持つ、ちょっとした面倒をカバーする、その便利さの追求に他ならない。

 

 

 

しかし、その便利さが過ぎるとちょっと考えものである。

 

自動ドアに慣れると自分で扉を閉めるという習慣が薄れる。トイレの自動洗浄が進むと自分で水を流す習慣が薄れる。エレベーターやエスカレーターは足の不自由な方や足腰の弱ってしまった方には重要なインフラとなるが、日常的な足腰の強さは失われていく。余談だが基本的な移動手段が徒歩だった江戸時代の日本人は現代の2倍は日常的に歩いていたらしい。ちょっと歩いては疲れた~と口にする現代人を見たら呆れることだろう(その代わりにエレベーターやエスカレーターを見たら腰を抜かすことだろう)。

 

 

 

”自動”は便利だが、慣れ過ぎにはご用心。

 

 

 

例えば高級な飲食店ほど玄関のドアは手動だったりする。昔ながらの趣ある扉が利用客を待ち構えている。そんな扉を開け放ったままにするのはチト恥ずかしい。

 

僭越ながら、さほど高級でもないマツヤの扉も手動である。1988(昭和63)年の改装以来の二重扉が待ち受けている。自動ドアの感覚に慣れてしまうと、この扉を開け放ったままということがある。実は割とよくある。男性ならわかるが、トイレ(小)の水洗も昔ながらの手動なので……これ以上は言うまい。

 

要するに、”自動”だと勘違いしてしまうのだろう。そんな気がする。

 

マイクラ(Minecraft)の動画配信を見ているとプレイヤーの多くは出入りの際に建物の扉をきちんと閉めていることが多い。自動ドアではないと認識しているからだと思う。そんな気がする。

 

 

 

習慣と固定観念は時に厄介なのである。

 

 

 

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2024年までXに投稿していたマツヤ代表・鈴木の不定期な”日記”を2025年からはブログで呟くことにしました。

 

あくまでも心の内をボソっと呟くものにつき、敬語は用いず、「です・ます調」の表現も省き、敬称略となりますことをご了承いただきたく存じます。

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